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仙台高等裁判所 昭和59年(う)125号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人小川正澄、同大久保建紀連名の控訴趣意書(一)の第一、第二(表紙から一二枚目裏末尾まで。同一三枚目以降未陳。)及び弁護人小川正澄、同庄司捷彦、同大久保建紀連名の控訴趣意補充書(一)ないし(五)に、これらに対する答弁は、検察官荒木紀男作成名義の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する(なお、本件は、被告人に対する公職選挙法違反被告事件について、昭和五六年三月一三日仙台地方裁判所(以下、「旧一審」という。)が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったところ、昭和五七年一二月一六日仙台高等裁判所(以下、「旧控訴審」という。)において、破棄差戻しの判決があり、昭和五九年五月一四日仙台地方裁判所(以下、「原審」という。)が言い渡した判決(以下、「原判決」という。)に対し、弁護人から控訴の申立てがあったので、当裁判所(以下、「当審」という。)において事実の取調べを行い、審理を遂げたものである。)。

第一原判決の判示(以下、「原判示」という。)第一の事前運動の事実について

一  訴訟手続の法令違反を主張する点について

所論は、要するに、原判示第一の事前運動の事実につき、原審は、昭和五八年六月二七日、検察官の同年四月一一日付訴因・罰条の変更請求につき、検察官の公訴提起にかかる当初の訴因(以下、「当初の訴因」という。)と変更請求のあった訴因(以下、「変更後の訴因」という。)との間には公訴事実の同一性が存することを前提として、これを許可したが、(一) 当初の訴因は、供応接待と事前運動であるが、社会的事実としては供応接待のみであるところ、供応接待の事実が旧一審で無罪となり、検察官がこれを不服として控訴しなかったのであるから、供応接待の点が旧控訴審、ひいては原審に移審係属することなく確定し、結局、これと公訴事実の同一性のある変更後の訴因は、旧一審のした無罪判決の既判力に抵触するのであるから最早審理の対象となり得ず、本件訴因・罰条の変更請求は許されないし、(二) 仮に、供応接待の訴因が旧控訴審、ひいては原審に移審係属するとしても、当該供応接待の訴因及びこれと公訴事実の同一性の範囲内にある他罪を構成する訴因は、最高裁判所昭和四一年(あ)第二一〇一号同四六年三月二四日大法廷決定・刑集二五巻二号二九三頁の趣旨に鑑み、いずれも当事者間の攻防の対象からはずされたものと解され、結局、本件訴因・罰条の変更請求は許されないものというべく、(三) 訴因変更の許否は、公訴事実の同一性の有無のほかに、訴訟の時間的発展や立証経過などをも考慮して決すべきところ、検察官は、旧一審において、容易に訴因変更請求権を行使し得たのに、これを怠り、起訴後六年余を経過し、しかも公訴事実の同一性の範囲内にある当初の訴因中、供応接待の事実につき無実の判断を受けた後に、初めて本件訴因・罰条の変更請求をしたのであるが、かかる請求は、信義則にもとり、公正な訴訟審理を阻害し、被告人に対し不意打ちの不利益を及ぼし、防禦権の行使を事実上不可能にするものであり、権利の濫用として到底許されないから、本件訴因・罰条の変更請求を許可した原審の措置は、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反である、というのである。

よって、審案するに、記録によれば、原判示第一の事前運動に関する当初の訴因は、供応接待と事前運動とを包括し、社会的事実としても、その両者を包含しているところ、旧一審は、これにつき、供応接待の点については犯罪の証明がないとしたが、事前運動の点については、その事実を認定して有罪の判決をし、供応接待の点は右事前運動の罪と処断上一罪の関係にあるから、主文において特に無罪の言渡しをしない旨判示したこと、そこで、被告人から控訴を申立て、事前運動の事実を認定したのは訴因を逸脱したものであるとして争ったところ、旧控訴審はこれを容れて旧一審の判決を破棄し、原審に差し戻したこと、検察官は、原審の冒頭において、当初の訴因を旧一審判決の判示内容にあらためた昭和五八年四月一一日付「訴因・罰条の変更請求書」を提出し、原審は、所定の手続を経て、同年六月二七日付決定で、右訴因・罰条の変更請求を許可したことが、認められる。

ところで、検察官の本件訴因・罰条の変更請求を許可した原審の措置は、原判示「弁護人の主張に対する判断」(以下、「原説示」という。)の一項で説示する点を含めて、当裁判所においても相当としてこれを肯認することができ、所論のような訴訟手続の法令違反はない。すなわち、旧一審判決においては、当初の訴因中、事前運動の点が有罪となり、供応接待の点が無罪となったところ、検察官がこれを不服として控訴しなかったことは記録上明らかであるけれども(もとより被告人は無罪部分につき控訴できない。)、有罪とされた事前運動の点につき被告人又は弁護人がこれを争って控訴した以上、右有罪部分はもちろん、実体上これと観念的競合の関係にある当初の訴因に含まれた供応接待の点も旧控訴審に移審係属するものと解すべきであることは所論指摘の最高裁判所大法廷決定に照らし明らかである。従って旧控訴審において破棄差戻しの判決がされた結果、旧控訴審に移審係属していた当初の訴因が原審に係属するに至ったことも自明のことであるから、当初の訴因が旧控訴審及び原審に係属していないとする所論は、独自の見解に基づくものであって、到底採用し難く、又、この見解を前提とする所論(一)のその余の主張は、その前提を欠き、失当である。

次に、旧一審は、供応接待の点については無罪である旨理由中で判決し、これについて検察官の不服申立てがなかったのであるから、右無罪部分については最早当事者間において攻防の対象からはずされたものとみるべきである(右最高裁判所大法廷決定参照)が、これと観念的競合の関係にたつ事前運動の点については有罪とされて争われているのであるから、それが当事者間の攻防の対象からはずされていないことは、右最高裁判所大法廷決定に徴し明らかである。すなわち、同決定は、牽連犯または包括一罪の一部につき、一審判決が理由中において無罪とした点は、当事者間の攻防の対象からはずされたものとみることができるとし、むしろ、これと牽連犯ないし包括一罪の関係にある有罪部分は、被告人側の控訴により当然控訴審に移審し、当事者間の攻防の対象となることを前提としていると解されるのであるから、同決定の趣旨に鑑みても、本件のように、供応接待の事実と観念的競合の関係にたつ事前運動の点が当事者間の攻防の対象からはずされたとすることはできず、又、所論指摘の仙台高等裁判所昭和五五年(う)第一四七号同五七年五月二五日判決も、同様に、「包括一罪及び一所為数法の関係にあるとして起訴された事実の一部について有罪、その余の部分について無罪とした第一審判決に対し、被告人と検察官の双方から控訴があった場合においても、無罪とされた部分中の一部につき第一審裁判所のした事実認定に不服が主張されていないときは、控訴審としては、当事者主義を基本原則とし、かつ、控訴審の性格を原則として事後審としている現行刑訴法の構造にかんがみ、その不服主張のない部分を攻防の対象から外されたものとし、その部分の事実認定につき職権調査を及ぼすべきではない」とするものであって、無罪とされた部分と公訴事実の同一性の範囲内にある有罪部分について控訴があった場合には、その有罪部分は当然当事者間の攻防の対象となることを前提としているのであるから、所論指摘の各判例の趣旨に照らし、所論(二)は採用できない。

更に、訴訟上の権利の行使が権利の濫用にあたるか否かは、行為の客観的評価及び行為者の主観的意図等を総合的に勘案して判断すべきものと解されるところ、旧一審の審理経過に鑑みると、検察官が旧一審において所論のような訴因変更の請求をしていないことは記録上明らかであるが、しかし、旧一審において取調べられた各証拠からすれば、供応接待を含む当初の訴因が最終的に有罪と認定されるか否かは極めて微妙であるうえに、裁判所からの訴因変更の勧告などもなかったのであるから、検察官が、裁判所の無罪判断ないし訴因と異る事実の認定を予測して予め訴因変更の請求をしなかったからといって、これが厳しく非難されなければならないとまではいえないことに徴すると、検察官が訴因・罰条の変更請求をしなかったのは怠慢であるとか、訴因変更請求権の濫用であるとは認められず、起訴後六年余を経過し、又、旧一審において当初の訴因中、供応接待の点につき無罪の判断がされた後であっても、審理の経過に鑑み、検察官として、公訴維持の必要があれば、訴因変更を請求し得るものと解するのが相当であり、これが、所論のように、信義則にもとり、公正な訴訟審理を阻害するものとは認められない。そして、本件で検察官が新たに審判を求めた変更後の訴因に明示された事実は、当初の訴因と公訴事実の同一性の範囲内にあることはもとより、当初の訴因の前提となる事実、もしくは密接不可分な間接事実として、旧一審以来主張立証されてきた事実であり、弁護人においても、これに対する反証ないし防禦活動を尽くしてきたこと、及びその審理の経緯等に、旧控訴審において旧一審判決が破棄差戻しとなり、原審に移審した冒頭において検察官から「訴因・罰条の変更請求書」が提出されてこれが許可された経過等に加え、右許可により殊更訴訟遅延を招いた形跡が認められないことなどに照らすと、本件訴因・罰条の変更請求は、被告人に対し不意打ちの不利益を及ぼしたとは認められず、又、被告人側の防禦権の行使につき、新たに過大な努力を強いたとか、これを事実上不可能にした事実は首肯し難く、所論のような権利の濫用は是認できないのであって、本件訴因・罰条の変更を許可した原審の措置に何らのかしはない。所論にそう指摘の各判例は本件と事案を異にし適切ではない。所論(三)も理由がない。

以上のとおり、原審が検察官の本件訴因・罰条の変更請求を許可した措置に訴訟手続の法令違反はなく、この点を争う所論は採用することができない。

二  事実誤認、法令適用の誤りを主張する点について

所論は、要するに、原判示第一の事前運動の事実につき、原判示吉田清、同阿部喜美夫(以下、いずれの場合も、特定性に欠けない限り、氏を指称する。)において、被告人を来るべき衆議院議員総選挙に立候補する決意を有する者として紹介し、被告人及び原判示鈴木実が被告人の顔写真入り名刺を配った行為は、単に被告人を紹介したに過ぎず、参集者に対する社交上の儀礼というべきものであり、被告人が挨拶の中で、自己の政治信条を披れきしたのは、本来法の規制を受けることなく自由になし得る政治活動であるとともに、他面、後援会活動の地盤培養行為の性格を有するものであり、被告人及び鈴木が後援会入会申込みのパンフレットを配布する行為は、これ又、後援会の会員獲得活動であって、結局、これらの行為は、社交上の儀礼の範囲内にとどまる行為か、政治活動もしくは後援会活動の地盤培養行為とみるべき行為であり、仮に、阿部において、選挙運動の認識に立って被告人の紹介をしたとしても、被告人との間に選挙運動の共謀はなく、結局、被告人の所為は、いずれも選挙運動に該当しないのに、原判決が、被告人の共謀による事前運動の事実を認定したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認、法令適用の誤りである、というのである。

しかしながら、原判決挙示の関係各証拠を総合すれば、原説示二項で認定説示する点をも含め、原判示第一の事前運動の事実を認定した原審の措置は優に首肯することができ、旧一審、原審で取り調べた他の証拠及び当審における事実取調べの結果をも併せ検討しても、原判決の認定判断に所論のような事実誤認、法令適用の誤り等のかしはなく、被告人が、原判示第一のとおり、昭和五一年一二月五日施行の衆議院議院総選挙(以下、「総選挙」ともいう。)に際し、同選挙への立候補届出に先立ち、自己の当選を得る目的で、吉田清、鈴木実及び阿部喜美夫と共謀のうえ、立候補届出前の選挙運動をしたものであることは、これを明認するに十分である。

すなわち、原判決挙示の関係各証拠を総合すると、原説示二項において、被告人が総選挙に立候補を決意するに至った経緯、後援会活動等の状況、被告人が吉田に勧められて阿部宅を訪問した経緯と訪問時における阿部との会話内容、被告人が鳴子町で開かれた暴力団組長らの新年会に出席した経緯とその際の模様、殊に、阿部が新年会の宴会場で参集者らに対して行った被告人の紹介と挨拶、これに引き続いて行われた被告人の挨拶や参集者との懇親の状況等につき詳細に認定説示し、それが原判示第一の事前運動に当たると認定したのは、当裁判所においても正当として首肯することができるのであって、原判決が指摘する諸事実、とりわけ、阿部が、選挙人約一〇名を含む参集者らに対し、被告人を次期総選挙では石巻から立候補する者として紹介したうえ、皆よろしく頼む旨の挨拶をしたのに引き続き、被告人自ら、「選挙といえば違反になるから言えないが」などと言って、言外に次期総選挙に立候補予定であることを表明しながら、自己の政治信条を披れきしたうえ、よろしく頼む旨投票依頼の趣旨が明瞭に看取される内容の挨拶をしたうえに、その後も参集者らの宴席を回って自己の顔写真入り名刺を配り、ビールなどを酌し、よろしくと言って握手をするなど個別に挨拶を繰り返し、鈴木においても、参集者の席に「相沢正己を育てる会」(以下、「後援会」という。)のパンフレットを配って回るとともに後援会へ加入の署名を求めたこと、及び、被告人は、その宴席で座興に歌謡曲を歌ったが、その際、参集者の中から、選挙に出るより歌手になった方がよいという趣旨の野次があったことなどを総合すると、被告人は、次期総選挙において、自己の当選を得る目的で、吉田、鈴木、阿部と共謀のうえ、遊佐ら約一〇名の選挙人を含む宴席の参集者らの面前で、総選挙の際、自己の当選を得るために、投票ないし投票とりまとめ等の選挙運動をしてくれることを依頼し、もって、立候補届出前の選挙運動をしたものというべきであって、所論のように単に被告人を紹介したに過ぎないものであるとは到底認められず、被告人らに事前運動の共謀が存したことは明らかである。

もっとも、当該行為が選挙運動に該当するか否かは、その行為の行われた時期、経緯、内容、方法、行為の対象者、その際の状況等を総合的に勘案して判断すべきところ、原判示の新年会の開催された時期においては、早ければその年の三月ころにも衆議院の解散の噂が取り沙汰され、被告人自身、既に総選挙に出馬を決意して、後援会の組織作りやポスターの掲示、講演会の開催など積極的、かつ、意欲的に選挙運動に奔走していた時期であったこと、右新年会は、阿部の輩下である原判示竹屋組組長の襲名披露を兼ねて開かれたものであるところ、被告人は、先に、阿部に対し、選挙の支援方を依頼したことから、顔つなぎのため出席することを勧められて、これに出席したものであり、この事実に、前記認定の共謀関係、出席者、被告人を含む共犯者らの言動、状況等を勘案すると、被告人の所為は、総選挙との関連を抜きにしては到底理解できず、被告人が原判示の選挙運動の依頼を明示的にしなかったとしても、被告人及び吉田ら共犯者の新年会における各言動等を勘案すると、総選挙の際、被告人への投票依頼の趣旨を含んでいたことはこれを明認するに十分であり、共犯者の鈴木が後援会のパンフレットを参集者に配り、後援会への加入の署名を求めたのも、結局は後援会加入の勧誘に名を藉りた選挙運動というべきであって、後日、出席者の一人である遠藤晴久に同後援会からパンフレットが送付されていることや、被告人が、当時、積極的に後援会活動を展開し、知名度を高めるような活動をしていたことなどを併せ考慮しても、被告人の本件所為が投票依頼の趣旨を含まない、単なる社交上の儀礼の範囲内にとどまる行為であるとか、あるいは、自由になし得る政治活動ないし後援会活動の地盤培養行為であるとは到底認められず、被告人及び原判示共犯者らの共謀による事前運動の事実を認定し、これに対して公職選挙法二三九条一号、一二九条(なお、この点に関する原判決の適条は、行為時の罰条を適用したものと認められる。)、刑法六〇条を適用した原審の措置に事実誤認及び法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。

第二原判示第二の買収の各事実について

一  訴訟手続の法令違反を主張する点について

1  所論は、要するに、原判示第二の各買収の事実につき、原判示が挙示引用する野上茂の検察官に対する各供述調書の謄本(以下、「野上の検面調書」という。なお、原判決中、野上の検察官に対する供述調書の抄本とあるのは、旧一審において謄本で証拠調べが行われ、抄本を提出したものである。)は、いずれも野上が、逮捕・勾留され、捜査官から取調べを受けた際、阿部喜美夫らへの金員の交付を含めて、すべて被告人から支払いを任されていたのでなければ、背任・横領になると脅かされ、更には、再々逮捕、勾留期間の延長や留置場内でマスコミのカメラによる集中攻撃を受けたりして脅かされるなどして作成され、これに署名・押印したもので、強制あるいは脅迫その他任意にされたものでない疑いがあるばかりか、右供述調書の記載内容には、すべてにわたり、矛盾があり、自然かつ合理的であるとは認められないから、刑事訴訟法三二一条一項二号所定の特信性を欠き、又、旧一審第一一回公判期日における証人野上茂の供述内容と同趣旨であるならば、同条項所定の相反性の要件を欠くのに、旧一審及び原審が右各供述調書に任意性、特信性及び相反性を認めて、同条項該当の書面として採用し、これを事実認定の資料とした原審の措置は、同条項及び同法三二〇条に違反し、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。

しかしながら、旧一審及び原審で取り調べた関係各証拠を総合すると、所論指摘の野上の検面調書には、供述の任意性に影響を及ぼすような強制あるいは脅迫その他任意性を疑わせるような事実は認められず、又、特信性を肯認し得るほか、公判期日における供述との相反性を認め、同法三二一条一項二号該当の書面として採用し、後記のようにその信用性を認めて、これを事実認定の資料とした原審の措置には、所論のような訴訟手続の法令違反はない。

すなわち、旧一審及び原審で取り調べた関係各証拠、殊に、旧一審及び原審証人野上茂の供述(以下、「野上証言」という。)によれば、同人は、逮捕・勾留されて検察官の取調べを受け、その身体的自由の拘束中に、原判示各事実にそう被告人との買収の共謀や、吉田、原判示佐藤千春との共謀と買収の事実等を供述したものであることは明らかであるが、身体的自由を拘束された状態のもとでされた供述であるからといって、その一事により直ちに供述の任意性に疑いがあるとして証拠能力を否定すべきものとは解されず、野上証言によっても、所論指摘のように、同人が捜査官から取調べを受けた際、阿部喜美夫らへの金員の交付は、すべて被告人から任されていたのでなければ横領・背任になると脅かされた形跡は全く認められず、かえって、同証言によれば、野上は、検察官に取調べられた際、嘘を言ったということはない、押しつけられたこともない、調書の訂正申し入れをしたこともない、石巻へ来てから健康的にも気を使っていただいた、ただ、事務所の経費か票まとめのための買収資金かをめぐって、検察官とかなりのやりとりがあったが、その間、買収といわれればそういうものかなと考えるようになって供述の録取に応じた旨供述しており、又、同証言に、昭和五二年一月一五日付読売新聞(写)を併せ考慮すると、野上は、選挙違反で逮捕されることを恐れて、投票日の前日から原判示の岡崎庄造及び佐藤清吾らと逃亡し、同年一月一三日石巻警察署に任意出頭して同署で逮捕され、鳴子警察署に護送された際、新聞記者から写真を撮られて精神的に動揺したことが窺われるものの、少なくとも検察官の取調べ当時には、精神的にも安定し、本件犯行の経緯や態様等について冷静に供述したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そして、所論指摘の野上の検面調書の形式及びその供述記載の経過、内容等を検討すると、野上は、取調べの都度、検察官から供述拒否権を告げられ、供述録取後、その供述記載を読み聞かされ、誤りのないことを申し立てて、署名指印しているのみならず、検察官に対し、野上が、後援会に関係するようになった経緯と同会での地位・役割、被告人、吉田及び佐藤との共謀の経緯とその内容、本件買収の経緯と態様、金員の趣旨、目的等につき、当時の心境や客観的状況等をおりまぜながら、記憶にないことはないとし、記憶にあることはその記憶に基づき、ありのまま率直に、かつ、具体的、詳細に供述していることが認められ、その供述内容には、格別、不自然、不合理な点はなく、野上が自発的に供述しなければ、取調官において知り得ない心理状態や具体的事実も種々語られており、これが大筋において他の共犯者をはじめとする関係者の各供述とも符合し、しかも右検面調書の供述記載中には、主張すべきところは主張している点も見受けられる。他方、野上証人が旧一審の公判廷において、被告人との共謀の経緯、内容、当時の状況、吉田から借り入れた金員と供与した趣旨、目的等のほか、捜査段階における取調べの状況等について証言するところは、第一一回公判期日の信用性のある証言部分を除き、その証言自体及び野上の右検面調書の供述記載と対比して、不自然、不合理、かつ、不明確と思われる点が少なくなく、措信し難い点も多々見受けられる。

以上の諸点を併せ考えると、所論指摘の野上の検面調書の供述記載は、いずれも同人の任意の供述を録取したものであって、検察官の強制あるいは脅迫その他任意にされたものでない疑いは全く存しないのみならず、その供述内容等に鑑みると、野上の旧一審公判廷における供述よりも、検面調書の供述記載を信用すべき特別の情況の存することを認めるのに十分であり、所論にいう供述の任意性ないし特信性に欠けるところはない。

そして、記録によれば、野上証人が旧一審の公判廷において供述するところは、その証拠調期日を異にするに従って矛盾、動揺し、殊に、買収の動機、被告人、吉田及び佐藤との共謀について語るところは、野上の検面調書の記載内容と相反するか又は実質的に異なった供述をしているものであることが認められるから、右検面調書は相反性をも具備しているものというべきである。(もっとも、原判決は、野上の検面調書における供述は、旧一審第一一回公判期日における野上証言と同趣旨である旨説示しているけれども、その趣意は、右検面調書の信用性を判断するに当たって、その記載内容は、具体的かつ詳細であり、一貫性がみられるほか、関係証人の供述内容やその後の買収状況とも基本的に一致していることから、その信用性を認め、右公判期日における野上証言もこれと同趣旨であって信用できるとしながらも、同証人がこれに続く他の公判期日においては、右証言を翻し相反する証言をするに至った旨判示するにとどまり、野上の検面調書と野上証言との前記条項にいう相反性の有無を判示しているものではないから、この点に関する所論指摘は当を得ないものというべきである。)

してみれば、野上の検面調書に証拠能力があるとして、同法三二一条一項二号によりこれを採用し、後記認定のようにその信用性を認めて、事実認定の資料とした原審の訴訟手続に所論のような法令違反はない。所論は理由がない。

2  所論は、被告人と野上との共謀の存在につき、被告人の共犯者である野上の検面調書及び旧一審の野上証言のみによって認定しているのは、憲法三八条三項、刑事訴訟法三一九条二項に違反するものであるから、原判決には訴訟手続の法令違反がある、というのである。

しかしながら、いわゆる共犯者の犯罪事実に関する供述(自白)は、被告人に対する関係においては、被告人以外の者の供述であって、憲法三八条三項にいわゆる「本人の自白」にあたらないことは、つとに最高裁判所の確定した判例(最高裁判所昭和二九年(あ)第一〇五六号同三三年五月二八日大法廷判決・刑集一二巻八号一七一八頁参照)であり、原判決は、野上の旧一審における野上証言と野上の検面調書の信用性につき、旧一審における吉田証言や佐藤証言をも引用しながら慎重に判断を加え、信用性の存する所以を詳細に説示し、これら被告人以外の証拠に基づいて被告人と野上との共謀の存在を認定しているのであるから、原審の措置は憲法三八条三項、刑事訴訟法三一九条二項に何ら違反せず、原判決には訴訟手続の法令違反はない。論旨は理由がない。

二  審判の請求を受けない事件について判決をした違法ないし訴訟手続の法令違反について

所論は、要するに、原判示第二の二の3の鈴木政志に対する供与の事実につき、およそ共謀は、具体的、個別的に存在すべきところ、起訴状記載の公訴事実及び検察官の冒頭陳述書(論告要旨も同旨)によれば、被告人と野上との鈴木政志に対する現金供与についての共謀は、昭和五一年一一月二六日ころの共謀(以下、「第二の共謀」という。)に基づくものであり、同年一一月一三日ころ、同月一八、九日ころ、同月二二日ころの共謀(以下、「第一の共謀」という。)にかかるものとは別個のものと主張されて来たのに、原判決が、第一の共謀に基づく供与の事実を認定したのは、共謀の具体性、個別性を無視し、審判の請求を受けない事件について判決をした違法ないし訴訟手続の法令違反である、というのである。

よって、審案するに、鈴木政志に対する現金供与の事実につき、本件起訴状記載の公訴事実によれば、被告人と野上との共謀の日時についての記載はなく、検察官の冒頭陳述書には、被告人は、昭和五一年一一月一三日ころから同月二二日ころにかけて、野上との間に、熱心な支持者又は有力者らへの現金買収を共謀し、その具体的買収方法を野上に一任したこと、及び、同月二六日ころ野上から、鈴木に対し清酒とともに現金もやりたい旨了解を求められてこれに同意し、その翌日ころ、野上が鈴木に対し現金二〇万円を供与した旨の記載があり、論告にも同旨の記載がある。しかしながら、原判決を検討すると、原判決は、原判示第二の二の3の鈴木政志に対する現金二〇万円の供与は、いわゆる第一の共謀に基づく供与である旨認定し、右供与が第二の共謀に基づくものであることは何ら認定判示していないが、検察官の右冒頭陳述書を検討すると、所論指摘のように第一、第二の各共謀をそれぞれ別個、独立の共謀と解しているわけではなく、むしろ、第一の共謀を前提とし、いわばその延長線上にあるものとして、第二の共謀が加わって、更に、共謀の内容が具体化、個別化した一個の共謀を主張しているものと解されるところ、原判決は、その主張のなかの第一の共謀を認定判示しているのであり、かつ、その共謀の内容は後記第二の三の3のとおりであるから、所論はその前提において失当であり、採用の限りではない。論旨は理由がない。

三  理由不備、理由そごないし事実誤認及び法令適用の誤りを主張する点について

所論は極めて多岐にわたるが、要するに、原判示第二の各買収の事実につき、原判決が証拠に基づかず、あるいは信用性のない証拠、殊に野上の検面調書に基づき、原判示第二の各買収に関する被告人と野上との共謀、野上と吉田及び佐藤との共謀(従って、被告人と野上、吉田及び佐藤との順次共謀)並びに各買収の実行行為を認定し、被告人に買収罪の成立を認めた原判決には、理由不備、理由そご、経験則違反、採証方法の誤り、ないしは判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認ひいては法令適用の誤りがある、というのである。

そこで、まず、野上の検面調書の記載内容の信用性について検討すると、同調書に任意性、特信性、相反性のあることは、第二の一の1において認定説示したとおりであるが、野上が検面調書において述べる本件犯行の動機は、極めて具体的かつ詳細であるばかりでなく、買収資金の借り入れの経緯やその共謀内容について述べるところは、吉田から借り入れることとした一五〇〇万円の中に「買収費が含まれていないというようなことは絶対ありません。」と述べるなど断定的、明確であり、又、買収資金の借り入れ交渉、買収の対象者の選定方法、買収額等について野上に一任された経緯も、格別、不自然、不合理な点はなく、極めて具体的かつ詳細に、被告人に対する心情や当時の心境などをおりまぜながら、ほぼ一貫して臨場感に溢れた供述をしているほか、吉田及び佐藤との買収の共謀をした経緯やその内容についても具体的であり、旧一審及び原審証人で原判示事実にそう供述の信用性に疑いを容れない吉田清、同佐藤千春の各供述(以下、「吉田証言」、「佐藤証言」という。)とも基本的に合致し、又、その後の買収の具体的状況とも一致していることからすると、野上の検面調書の供述記載には信用性に疑いを容れず、相反性の点は別としても、原判示事実にそう野上証言も又信用性に疑いを容れない(なお、所論は、被告人の捜査官に対する各供述調書の信用性等を争っているが、原判決は右各供述調書を採用していないことは原判文上明らかであるから、その前提を欠き、失当である。)。

以上のとおり信用性を肯認し得る野上の検面調書を含む原判決挙示の関係各証拠を総合すれば、原説示三項を含めて被告人の原判示第二の各供与又は供与の申込みの各事実、すなわち、被告人は、原判示第二のとおり、総選挙に際し、自己の当選を得るため、原説示の経緯で、吉田から一三〇〇万円ないし一五〇〇万円位を借用のうえ、その中から総額四、五百万円位を各地区の後援会幹部や有力者に投票とりまとめの資金及びその報酬・謝礼の趣旨で供与することとし、具体的の供与先や供与金額などについては野上に一任する旨まず野上と現金買収をすることを共謀し、次いで、野上において、原説示の経緯で、吉田及び佐藤に対して現金買収の話をもちかけ、吉田及び佐藤の両名において、被告人も野上の買収の企図を知り了承しているものであることを暗黙裡に認識しながら、現金買収することを共謀し、ここに被告人は、野上、次いで、野上を介して、吉田及び佐藤と現金買収をすることの順次共謀を遂げたうえ、右共謀に基づき、吉田及び佐藤の両名において、現判示第二の一の1のとおり、阿部六郎に対し、被告人のために投票とりまとめ等の選挙運動を依頼し、投票とりまとめの資金あるいはその報酬・謝礼とする趣旨で、現金五〇万円の供与を申し込み、更に、右共謀に基づき、野上、吉田及び佐藤の三名、又は、吉田及び佐藤の両名、あるいは佐藤において、それぞれ原判示第二の一の2ないし9のとおり、阿部喜美夫ほか六名に対し、前同様の依頼をし、前同趣旨で、現金合計二九八万円を供与し、更に、被告人と野上との右共謀に基づき、原判示第二の二の1、2、3のとおり、野上において、岡崎庄造ほか二名に対し、今後より一層投票とりまとめ等の選挙運動を活発に行うことなどを依頼し、投票とりまとめの資金あるいはその報酬・謝礼とする趣旨で、現金合計九三万円を供与した事実を認定し、被告人を有罪とした原審の措置は、当裁判所においても優にこれを肯認することができるのであって、記録、旧一審及び原審において取り調べた他の各証拠を精査し、当審における事実取調べの結果をも併せ検討しても、原判決には、所論のような理由不備、理由そごのかしはなく、又、原判決の認定判断に所論のような事実誤認及び法令適用の誤り等のかしはない。所論に鑑み、以下、若干の説明を補足する。

1  先ず、野上、吉田及び佐藤の共謀並びに原判示第二の一の各買収の実行行為について

所論は、(一) 野上は、後援会の各支部の事務所経費や未払い金の支払いにあてるため、被告人の了解を得て、吉田から一五〇〇万円の融資を受け、その一部を右の経費や未払金の支払いにあてたものであって、買収のための融資を受けたものではなく、(二) 当初、吉田から借り受けた一五〇万円の使途については、吉田及び佐藤両名の使うままに任せて、野上はこれを納得していなかったものであり、(三) 更に、吉田から融資を受けた一五〇〇万円のうちの四〇〇万円については、吉田と佐藤が自己の用途に使用するため着服し、野上はこれを承認したに過ぎず、結局、野上、吉田及び佐藤との間に買収の共謀はない、と主張する。

しかしながら、原判決が原判示第二の一の証拠として挙示する関係各証拠、殊に、野上、吉田及び佐藤の各証言並びに野上の検面調書によれば、原判示第二の一の各事実及び原説示三項の事実を首肯しうることは前記のとおりであって、その説示にかかる野上、吉田、佐藤の地位、立場、野上が吉田に対し事務所経費名目で一五〇〇万円の借用方を申し入れて、とりあえず一五〇万円を借り受け、その際、同人ら三名の間で、現金買収の話が出て一決し、右現金を用いて、原判示第二の一の1の現金供与の申し込みに及び、又、同2の現金供与に及び、更に、吉田が用立てた約一三五〇万円の中から、原判示第二の一の2ないし9の各現金供与に及んだ事実に徴すると、所論は到底採用し難い。すなわち、野上が、吉田に対して融資の申し入れをして、吉田から現金一五〇万円を受け取った際、同人と佐藤の両名に対して、原説示のように「同じ選挙区の対立候補である菊地候補や内海候補が金をばらまいているという噂があり、被告人も劣勢が予想されるので、大きな組織票はありませんか。」と言って、対立候補が金をばらまいて選挙運動をしていることへの対抗上、劣勢が予想される自陣営としては大きな組織を現金買収して組織票を獲得する方策を諮り、吉田、佐藤もこれに応じて、被買収者の氏名を挙げ、現金買収の共謀を遂げ、吉田から借用した現金一五〇万円の全部及び現金約一三五〇万円の一部がいずれも原判示のように買収資金として使用されたとする原説示の事実を勘案すると、右各金員は、いずれも買収資金に用立てるため融資を受けたものであって、同人らの間に現金買収の共謀がなかったとはいえず、所論(一)は採用し難い。

所論(二)については、原説示三項のとおり、野上が、吉田及び佐藤の両名に対して現金買収の話をもちかけたところ、吉田が阿部喜組組長阿部喜美夫の、佐藤が阿部六組組長阿部六郎の名前をそれぞれ挙げたので、野上、吉田及び佐藤の三名が即日阿部喜美夫及び阿部六郎に運動費ないし経費名目で現金を供与することを決めたこと、そして、吉田及び佐藤が阿部六郎宅に赴いて被告人の選挙の支援方を依頼し、経費名目で五〇万円の供与を申し込んだところ、同人からその受領を拒まれたこと(関係証拠によれば、その際、野上は、阿部六郎が暴力団組長であることを知っていて気が進まず、他に用事もあったことから吉田らに同行しなかったことが認められる。)、野上は、その直後、吉田、佐藤とともに、阿部喜美夫宅に赴き、同人に被告人の選挙の支援方を依頼し、経費名目で当初予定していた一〇〇万円に阿部六郎から受領を拒否された五〇万円を加えて合計一五〇万円を渡したところ、阿部喜美夫はその趣旨を了解して受領した事実に照らせば、野上も積極的に阿部両名に対する現金供与の謀議に加わったものであることはこれを明認するに十分であって、同人が阿部六郎宅へ吉田らと同道しなかったからといって、殊更、阿部六郎への供与について反対していたわけではなく、いわんや阿部喜美夫宅へは吉田らと同行し、吉田、佐藤ともども阿部喜美夫へ一五〇万円を渡しているのであるから、吉田及び佐藤の両名が野上にかかわりなく勝手に阿部両名に現金供与の申込み及び現金供与に及んだとは認められず、所論は採用し難い。

所論(三)については、原説示三項のとおり、野上は、吉田が用立てて持参した一三五〇万円から前日借りた一五〇万円を差し引いた残額一二〇〇万円を受け取り、前日阿部喜美夫宅を訪ねた際、同人から女川の成田慶喜の所へも行った方がよいと言われていたこともあって、吉田及び佐藤と、成田宅へ赴くことを話し合い、その際、吉田、佐藤は、野上からその他にも票のとりまとめのできそうな人たちにも渡してもらいたい旨一任されて合計一五〇万円ないし二〇〇万円位の現金を手渡され、原判示第二の一の3ないし7のとおり、成田慶喜ほか四名に対し、被告人のため投票とりまとめの資金あるいはその報酬・謝礼とする趣旨で現金合計一二八万円を供与したほか、佐藤において、吉田から受け取った現金の中から、原判示第二の一の8及び9のとおり、亀井義明ほか一名に対し、前同様の趣旨で現金合計二〇万円を供与した事実に徴すると、吉田及び佐藤の両名が買収名目で着服したものであるとは認め難いばかりか、全証拠を検討しても、同人らが所論のように着服した事実を認めるに足りる証拠はなく、野上、吉田及び佐藤が右のような金員交付の事実を三人だけの秘密にしようと話し合ったのも、吉田及び佐藤が着服したからではなく、これらの金員交付の趣旨が、いずれも買収のための現金供与であるばかりか、その相手方の多くは暴力団組長もしくは組員であって、これが発覚した場合の影響の大きいことを慮って互いに他言しないことを約したものであることは関係証拠上明らかであり、これらの事実からすると、野上、吉田及び佐藤において、阿部喜美夫の示唆などもあって、共謀のうえ、票のとりまとめのできそうな人たちに対して、原判示の趣旨で、それぞれ原判示の現金を供与したことを認めるに十分であり、所論は採用し難い。

してみれば、野上が、吉田から買収資金を借り受け、吉田及び佐藤と共謀のうえ、原判示第二の一の1ないし9の各買収等に及んだ旨認定した原審の措置に合理的な疑いを容れる余地はなく、この点を争う所論は採用できない。

2  岡崎庄造、佐藤清吾及び鈴木政志(以下、「岡崎ら三名」ともいう。)に対する供与について

所論は、岡崎庄造と佐藤清吾は選挙事務所の事務員であり、鈴木政志は被告人の親戚で仕事を犠牲にして後援会活動をしていたものであるから、被告人のために投票とりまとめ等の選挙運動をすることなどを依頼し、投票とりまとめの資金あるいはその報酬・謝礼の趣旨で現金を供与するはずはなく、その必要もなかったのに、原判決は、野上が岡崎ら三名に対し、投票とりまとめの資金あるいはその報酬・謝礼の趣旨で現金を供与したと認定したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認である、と主張する。

しかしながら、原判決が、原判示第二の二の各事実につき挙示する関係各証拠によると、岡崎庄造は、総選挙の公示前から後援会の組織部長をみ、公示後は被告人のために選挙事務所で運動員として選挙運動に携わっていたもの、佐藤清吾は、右公示前から後援会の組織部長や気仙沼事務所の責任者となり、公示後は被告人のため選挙運動に携わっていたもの、鈴木政志は、被告人と親戚関係にあり、右公示前から牡鹿方面で後援会の常任幹事として熱心に後援会活動を行い、公示後も選挙運動をしていたものであるが、野上は、これらの者に対し、いずれも今後より活発に被告人のために投票とりまとめ等の選挙運動を行って欲しい旨暗黙裡に依頼し、その投票とりまとめの資金あるいはその報酬・謝礼の趣旨で、原判示第二の二の1、2、3のとおり、各現金を手渡したこと、岡崎ら三名は、いずれも、その趣旨を理解し、野上から処分を一任されて現金を渡され、受け取った現金のうち大部分を選挙運動員らに配っていること、殊に、岡崎は、選挙運動中、野上が運動員をランク付けしたことから、そのランクによって金をばらまくのではないかと思い、又、受け取った現金の一部を他の運動員らに配っていること、佐藤清吾は、受け取った現金の大部分を他の運動員らに配り、全く事務所の経費に使用しなかったこと、鈴木政志は、自宅を後援会の連絡事務所とし、生業である漁業をなげうって後援会活動や選挙運動に従事していたが、野上から受け取った現金は後援会支部の会長クラスの人たちに一万円ずつ配ったこと、野上、岡崎及び佐藤清吾は、選挙の投票日前日ころ、警察に逮捕されることをおそれて逃走していることが認められ、これらの各事実に、原説示三項、ひいては後記3で認定するとおり、被告人が野上と共謀して現金買収に及んだ動機、経緯等を勘案すると、野上と岡崎ら三名との間で授受された現金の趣旨は原判示のように買収としての供与であり、その趣旨は、野上はもとより岡崎ら三名も十分認識していたものというべく、しかも、右供与の必要性も是認できるのであって、右金員が後援会活動の実費弁償であるとは到底認め難く、所論は採用できない。

3  被告人と野上らとの共謀について

所論は、被告人は、野上と買収の共謀をしたことはなく、違法性の認識もなく、従って、共謀共同正犯としての責任はなく、吉田から借り入れた資金の一部が暴力団関係者の手に渡ったことを知らされたこともなく、又、未必的にせよ、これを認識したこともなかった、と主張する。

そこで、審案するに、原説示三項の事実関係、殊に、信用性に疑いを容れない前記野上証言及び野上の検面調書により、更に、これを詳述すると、被告人は、総選挙の公示直前である昭和五一年一一月一二、一三の両日石巻市、気仙沼市及び登米町の三か所で政治評論家らを招いて政治講演会を開催したところ、予想をはるかに下回る聴衆しか集まらなかったことから、原判示の後援会事務所で、野上と今後の選挙対策を協議するうち、野上から、「今後はタレントを多数回呼んでイメージアップをはかり、浮動票を集めなければならない。また、買収をある程度やったりしなければならないし、このような二本柱で選挙運動をすすめたい。」、「できたら各地区の中で信用のおける主だった人にお金をやってその人に任せて票まとめをしてもらったらよいと思います。」という趣旨の提案を受けて、これに賛成し、牡鹿地区については鈴木政志の名前を挙げたほか、他の地区についても主だった選挙運動員の名前を挙げながら、選挙運動の進め方を検討し、野上から「吉田さんと佐藤千春さんと相談して無駄のないようにしますから私に任せて下さい。一切の責任を私が負いますから買収先等について口出しをしないで下さい。」という趣旨の申し出を受け、最終的には、被告人が、「それでは任せるからお前の責任でやれ。」と言って野上の提案を了承したこと、公示後の同月一八、九日ころにも、被告人は、個人演説会から原判示の選挙事務所に帰った後、同事務所で、野上と選挙情勢について話し合った際、野上から「石巻地区の買収をたのむ相手としては吉田さんと千春さんがいいでしょう。」と言われて、これに賛成し、野上が吉田及び佐藤の両名と相談して買収工作をすべきことを指示したこと、又、同月二二日ころ、被告人は、同事務所で、野上と事務所の諸経費の支払いや買収資金の金策について話し合った際、同人から「とりあえず、タレント代として五〇〇万円位、買収資金として四、五百万円、事務所諸経費等二、三百万円、予備費二〇〇万円位を加えて一三〇〇万円位の資金が必要です。」、「買収資金は四〇〇万円か五〇〇万円と言っても増えるかも知れないので一五〇〇万円位を早急に金策する必要がある。」、「事務所経費はともかくとして、とりあえずタレント代や買収資金として一五〇〇万円位吉田さんから借りたい。」との話を聞き、吉田からの借入れ交渉を野上に一任したことが認められ、この点に反する被告人の旧一審、原審及び当審各公判廷における供述、捜査官に対する各供述調書の供述記載並びに野上証言はにわかに措信し難い。右事実によれば、被告人は、野上と買収の共謀を遂げ、その共謀の内容として、買収工作は吉田及び佐藤と共謀して実行すべきことを指示し、この共謀に基づき、野上は吉田及び佐藤と買収についての共謀を遂げたことは前記第二の三の1のとおりであるから、結局、被告人は、野上と、又、野上を介して吉田及び佐藤と順次共謀を遂げたものであり、しかも、その共謀の内容は買収の実行であるから、被告人に違法性の認識がないとはいえない。従って、被告人は、右共謀に基づいて敢行された野上、吉田及び佐藤らの買収につき、共謀共同正犯としての責任を負わなければならず、共謀共同正犯における行為支配の可能性がなかったとはいえない。

所論は、被告人が野上と選挙対策を話し合った同月一三日ころにはまだタレントを呼ぶ話はなく、当時多額にのぼる後援会の事務所経費の支払いに窮していたのであるから、買収などをする余裕はなかったと主張するが、かかる主張は、前認定事実に反するのみならず、野上は、証言においても検面調書においても、同月一三日ころには、被告人と、タレントを呼んで候補者のイメージアップをはかることと、買収工作を選挙運動の二本柱とすることを話し合ったとの事実を一貫して述べているばかりでなく、原判決挙示の関係各証拠によれば、同月二〇日ころには石巻に歌手を招いたのをはじめとして、その後二、三日置きに石巻市や気仙沼市などにタレント、歌手、落語家を次々に招いたことが窺われることからすると、同月一三日ころには、選挙戦の事実上の終盤戦を迎え、有名タレントを動員して候補者のイメージアップをはかり、浮動票を獲得することが話し合われていたものと認められるほか、関係各証拠によると、当時、後援会の未払い経費を含めて数千万円の負債があったことが認められるが、それが直ちに、被告人に買収の意図がなかったことの根拠となり得ないばかりか、野上の検面調書によると、同月二二日ころ、野上は、吉田から借りる一五〇〇万円の一部を選挙事務所の支払い分にあてたいというのに対し、被告人は、「そんなものは選挙のあとでもいいのではないか。タレントによるイメージアップと買収に重点をおいてやってくれ。」と述べたことが認められ、これらの事実に、前記第二の三の1、2の各現金供与等の事実を勘案すると、被告人は、同月一三日ころ、野上との間に、有名タレントの動員と買収工作を選挙戦の二本柱として話し合い、それを実行したことは認めるに十分である。

所論は、又、被告人が、同月二五日ころ、吉田からの融資について同人に礼を述べた際、同人から「女川、渡波方面へ行って挨拶して来た。」との報告があったが、そのころ、被告人は、吉田らが阿部喜美夫ら暴力団関係者に現金を渡したことは知らなかったし、被告人が事務所に立ち寄った時間は同日午後四時半前後であるから、これに反する野上の検面調書には信用性がない、と主張する。しかしながら、関係各証拠によれば、暴力団組長である阿部喜美夫が石巻地区に勢力を有する有力者で、吉田とふだんから親交があり、現に原説示二項のとおり吉田が被告人を立候補届出前阿部喜美夫宅に案内して同人に紹介し、同人に選挙の支援方を依頼していたこと、同月二五日ころの夜、被告人が吉田に対して融資を受けたことに対して礼を述べた際、吉田は被告人に対して、「返済の件だけはよろしく。渡波方面へ行って手を打って来ました。」と言い、それに対して被告人が更に礼を述べていたこと、当時、事務所の者などは阿部喜美夫を、その住んでいる地名にちなんで「渡波」と呼称していたことが認められ、以上の事実に照らすと、被告人は、吉田らが阿部喜美夫を訪ねて現金を供与し、票まとめを依頼したことを理解して吉田に礼を述べたものということができ、この点に反する被告人の供述はにわかに措信し難い。又、関係各証拠によると、被告人は、同月二五日午前一一時ころ、野上からの連絡により、吉田から融資を受けられるようになったことを知り、同人に謝礼を述べてもらいたい旨要請され、かつ、「今夜は一〇時半ころまでにお帰り下さい。」と言われて、当時、演説会等の選挙運動に忙殺されていたが、同日午後一〇時三〇分ころ演説会を終えて選挙事務所に戻り、同所に居合わせた吉田に対して融資への礼を述べたことが認められる。もっとも、押収してある同日付河北新報(写)一枚(当庁昭和五九年押第四七号の二三)によると、被告人の昭和五一年一一月二五日の行動予定は、石巻―瀬峰―高清水―一迫―花山―鳴子―岩出山―鳴子となっており、被告人は、旧一審の公判廷において、同日午後六時三〇分から岩出山公民館で立会演説会があり、その後岩出山の町から車で四、五十分かかる開拓部落のような二か所で午後の九時と一〇時から個人演説会の予定であったため、同日午後四時一五分から三〇分までの間石巻市内で演説をした後、同日午後五時前に選挙事務所に立ち寄り、吉田に対して融資への礼を述べた旨供述し、更に、当審公判廷において、右の立会演説会後行われた個人演説会は、午後の八時と九時から開かれる予定であったが、予定の時間が大幅に遅れて午後の九時と一一時に始まり、最終的に終ったのは翌二六日午前零時ころであり、石巻に戻ったのは午前一時ころになったのであるから、二五日午後一〇時三〇分ころには選挙事務所に戻れるはずがなかった旨供述している。しかしながら、右河北新報(写)の記事では、二五日午後六時三〇分から岩出山町公民館で開かれた立会演説会終了後の被告人の行動予定は、鳴子にまわることになっていただけであり、かつ、被告人が供述するように、同日午後の九時あるいは一一時から個人演説会が開かれ、これが全部終了したのが翌日午前零時ころであったことを裏付けるに足る証拠がないうえに、野上、吉田及び佐藤の各証言によれば、被告人が吉田に対して融資への礼を述べるために事務所へ立ち寄ったのは、夕方ではなく、午後一〇時ないし一〇時半ころであったと一貫して述べており、殊に、野上証人は、被告人に対して事務所に立ち寄るように連絡した際、挨拶は夜でもよいので、大事な演説会を放ってまで帰って来るように言った記憶はない旨供述していることからすると、原判示のように、被告人が吉田に融資への礼を述べたのは二五日午後一〇時三〇分ころであったものと認められ、これに反する被告人の前記供述は、必ずしも一貫しないことをも併せ考えると、にわかに措信できない。

以上のとおり、旧一審及び原審において取り調べた関係各証拠を精査し、当審における事実取調べの結果をも併せ検討しても、被告人は、野上と買収を共謀し、次いで、野上を介して吉田及び佐藤の両名と順次共謀を遂げ、右共謀に基づき、野上、吉田、佐藤の三名において、原判示第二の一の2の供与を、吉田及び佐藤において、同1の供与の申し込み及び同3ないし7の各供与を、佐藤において、同8、9の各供与を、野上において、原判示第二の二の各供与をした旨認定し、これに対し、いずれも公職選挙法二二一条三項一号、一項一号、刑法六〇条を適用・処断した原審の措置には、所論指摘のような理由不備、理由そご、事実誤認及び法令適用の誤り等のかしはなく、又、被告人が買収の共謀をしたことがないことを前提として種々主張する所論もその前提において失当であり、いずれも採用することはできない。

第三結論

以上のほか、多岐にわたる所論について、旧一審及び原審において取調べた各証拠を精査し、当審における事実取調べの結果をも併せて逐一検討しても、被告人の原判示第一の事前運動並びに同第二の一の1の供与の申し込み及び同第二の一の2ないし9、第二の二の1、2、3の各供与の事実を認定して有罪とした原判決の認定判断には所論のかしはなく、論旨はすべて理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 金子仙太郎 裁判官 小林隆夫 泉山禎治)

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